人格を全否定されて、改めて気付いたこと
わたし、最近、ちょっと凹んでしまうことがありました。結論から言うと、初対面の人に全面的にわたしの性格・人格を否定されてしまったんです。全面的を太字にさせて頂きます!
人格否定とは人間性や性格など人を否定すること
そもそも人格否定とはどんな行為なのでしょうか?
人格否定はその人の人間性や性格などパーソナルな部分を否定する行為です。
- 尊厳を踏みにじられる
- 屈辱を受ける
- プライドをズタズタにされる
なども類似する行為になります。
そのほかにも生まれを否定したり、その人が歩んできた人生を否定したりすることも人格否定になります。
人格否定されたかは受け取り手の感じ方によって変わる
人間性や性格などパーソナルな部分を否定する行為が人格否定になるとご説明しましたが、受け取り手の感じ方によっては、「人格否定」になる場合とならない場合があります。
というのもそれは人によって感じ方が違うからです。
例えば同じ「バカ」という言葉を言われても「とても親しい間柄の人」とふざけて言い合っていて、自分が人格否定と思わなければ人格否定にはなりません。
逆に、上司や目上の立場の人など親しくない間柄の人に注意されている最中に「お前はバカだなあ」「なんでそんなことできないんだバカ」などと言われて自分が人格を否定されていると感じれば人格否定になります。
「バカ」と言った人は何気なく言ったつもりでも、言われた人が「人格否定をされている」と感じたら人格否定になります。
そもそも言った側の方より言われた側の方が記憶に残っていて大きく捉えてしまうため注意しましょう。
他人と比較することも人格否定につながる可能性もある
直接的に人を否定しなくても人格否定になることもあるので注意が必要です。
例えば「◯◯さんを見習ったらどう?」「〇〇さんは優秀だ」など、嫌味のように相手に言った場合、人格否定になる可能性もあります。
兄弟間などでも「お兄ちゃんはできたのになんでできないんだ」「お兄ちゃんと比べてお前は…」などと他人と比較して自分のことを否定する場合など、他人と比べることで間接的に否定していることになります。
これも言った本人何気なく言ったつもりでも受け取り手によっては深く傷つく可能性があります。
人格否定をする言葉の例
では具体的にどんな言葉が人格否定になるのでしょうか?自分が相手を教育をしている、奮起を促して言っていると思わず言っている可能性もあるので注意しましょう。
性格・本質を否定する言葉
- お前はバカか
- ない頭使って考えろ
- そんなんで諦めるのか根性ないなあ
- なんでそんなミスするんだ。頭おかしいんじゃないのか?
などなど、個人の性格やパーソナルな本質の部分を否定する言葉は人格否定になります。
性格や頭の良さなどパーソナルでどうしようもない部分を否定するのは人を傷つける行為になります。
ネガティブな言葉
- もういいよ
- お前なんて知らない
- 使えない
- 消えろよ
などなど、単語で抽象的でネガティブな言葉は人格否定になります。奮起を促すためにこの言葉を使っても具体性がないため、言われても何をしたらいいかわかりません。
この言葉を使ってもただただ相手の人格を否定するだけとなってしまいます。
生き方・プライベートを否定する言葉
- 今まで何をしてきたんだ
- お前の親頭悪いだろ
- 生きている価値がない
- 育ちが悪い親の顔が見てみたい
- 意味のないことをしている
生き方や自分を産んで育ててくれたことなどその人の未来や過去を否定する言葉も人格否定となります。
私が人格否定をされたときに何が起こったのか?
私自身の言動や姿勢が、相手の何かに、ひっかかったのが原因なのでしょう。議論を戦わすというよりも、次第に話題の中心が私の人格否定に傾いていった時には、とても困惑しました。
そして、その後しばらく立ち直れませんでした。最終的にその方との話し合いはそれなりのエンディングとなりました。ただ、帰り道もずっと、
「今のわたしのどこが、いけないのだろうか」
「指摘されたことはみんなが思っていることなのだろうか」
戸惑いつつ、考えれば考えるほど、どんどん落ち込みました。
「そんなに周囲の人に悪い印象を与えているんだな」
「みんな本当はわたしのことをあんな感じに思ってるのか」
最初は疑問符がついた思考だったのに、思い返しているうちに、自分で自分を否定する気持ちが強くなっていくのです。自分を卑下するような、大げさにいえばブラックホールに落ちてしまったような気持ちになりました。
そして、それをすべて否定されたように捉えてしまったことで、非常に落ち込んでしまいました。どうしようもなく落ち込んだ時、周囲に「わかってるよ、あなたのことは」と肩をたたいてくれる人がいることで、どれほど大きな励ましになるか、どれほど大きな助けになるか、改めて実感しました。
すべての人に好かれたいとは思っていなくても、多少の差こそあれ、誰でも「嫌われる・否定される」ことには傷つくものです。
人は弱く、人はもろく、人はとても傷つきやすいのだと、今さらながら本当の意味で気付いた感じです。
仮にもそこそこの年齢になり、世間の波も経験している私ですが、傷ついたときの孤独感はとても大きく、そこからはい上がるのには時間が必要でした。
落ち着いてから思ったことがあります。わたしが受けたのはイジメではありませんが、人格を否定される辛さは、今、いじめを受けている多くの子どもが感じていることだという点です。
まだ人としての成長段階にあり、ひとつずつ体験をしながら経験値を増やしている最中の子ども達が、例えばクラスの中で徹底的にイジメられたら、徹底的に人格を否定され続けたら、それはどれほど辛く苦しい経験でしょう。
そして、そんな体験をした子ども達にとって、誰でもいい、手をさしのべ、「大丈夫だよ、あなたは素晴らしい子だよ、あなたのことはわかっているよ」と理解と共感を示すことで、子どもは少しでも救われるかもしれない。
人格否定はする人が悪い
人格否定はどんな状況であっても、いじめと同じで「人格否定をする人」に非があります。たとえ奮起を促すために人格を否定するような言葉を投げかけても全く意味がなく、言われた相手が嫌な気持ちになるだけです。
人格は誰も否定することができず、尊重しなければならないものです。
言われると塞ぎ込んでしまがちになりますが、それを間に受けず自分の存在は正しいものだと思うようにしましょう。
複数の居場所が助けになる
いじめ問題がでたときに、「居場所が多いほうがいい」これはよく言われることですが、私の今回の件も同じです。
否定する人もいるけど、肯定してくれる人もいる
だからバランスがとれて、数時間落ち込むだけで復帰できました。
学校のいじめも、子どもにとって学校しかないとそこで否定される事が
全てに思えますが、他に肯定してくれる場所があれば、活躍できる場所があれば子ども達の気持ちは違ってくるかもしれません。
いじめを受けている子を「ひとりぼっち」にしないために
本当にひどいイジメを受けている子は両耳をふさぎ、目をきつくつむってしまいます。それ以上、誰かからの人格に対する攻撃を受けないよう、自分の周りに分厚い壁を作ります。それはイジメに対する防御のためであるのですが、その為に「ここにいるよ、味方がいるよ」という声が届かないことも、あるのです。
でも、あきらめずに、親であれ友だちであれ、誰か別の人であれ、子どもに「あなたを助けるよ」と語り続けていかなくては、と思います。
いじめを受けている子たちには、そんな「手と声」が必要ですね。
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