2019年10月29日

人格を全否定されて、改めて気付いたこと

わたし、最近、ちょっと凹んでしまうことがありました。結論から言うと、初対面の人に全面的にわたしの性格・人格を否定されてしまったんです。全面的を太字にさせて頂きます!

心

何が起こったのか?

私自身の言動や姿勢が、相手の何かに、ひっかかったのが原因なのでしょう。議論を戦わすというよりも、次第に話題の中心が私の人格否定に傾いていった時には、とても困惑しました。

そして、その後しばらく立ち直れませんでした。最終的にその方との話し合いはそれなりのエンディングとなりました。ただ、帰り道もずっと、

「今のわたしのどこが、いけないのだろうか」
「指摘されたことはみんなが思っていることなのだろうか」

戸惑いつつ、考えれば考えるほど、どんどん落ち込みました。

「そんなに周囲の人に悪い印象を与えているんだな」
「みんな本当はわたしのことをあんな感じに思ってるのか」

最初は疑問符がついた思考だったのに、思い返しているうちに、自分で自分を否定する気持ちが強くなっていくのです。自分を卑下するような、大げさにいえばブラックホールに落ちてしまったような気持ちになりました。

そして、それをすべて否定されたように捉えてしまったことで、非常に落ち込んでしまいました。どうしようもなく落ち込んだ時、周囲に「わかってるよ、あなたのことは」と肩をたたいてくれる人がいることで、どれほど大きな励ましになるか、どれほど大きな助けになるか、改めて実感しました。

すべての人に好かれたいとは思っていなくても、多少の差こそあれ、誰でも「嫌われる・否定される」ことには傷つくものです。

人は弱く、人はもろく、人はとても傷つきやすいのだと、今さらながら本当の意味で気付いた感じです。

仮にもそこそこの年齢になり、世間の波も経験している私ですが、傷ついたときの孤独感はとても大きく、そこからはい上がるのには時間が必要でした。

落ち着いてから思ったことがあります。わたしが受けたのはイジメではありませんが、人格を否定される辛さは、今、いじめを受けている多くの子どもが感じていることだという点です。

まだ人としての成長段階にあり、ひとつずつ体験をしながら経験値を増やしている最中の子ども達が、例えばクラスの中で徹底的にイジメられたら、徹底的に人格を否定され続けたら、それはどれほど辛く苦しい経験でしょう。

そして、そんな体験をした子ども達にとって、誰でもいい、手をさしのべ、「大丈夫だよ、あなたは素晴らしい子だよ、あなたのことはわかっているよ」と理解と共感を示すことで、子どもは少しでも救われるかもしれない。

複数の居場所が助けになる

いじめ問題がでたときに、「居場所が多いほうがいい」これはよく言われることですが、私の今回の件も同じです。

否定する人もいるけど、肯定してくれる人もいる

だからバランスがとれて、数時間落ち込むだけで復帰できました。

学校のいじめも、子どもにとって学校しかないとそこで否定される事が

全てに思えますが、他に肯定してくれる場所があれば、活躍できる場所があれば子ども達の気持ちは違ってくるかもしれません。

いじめを受けている子を「ひとりぼっち」にしないために

本当にひどいイジメを受けている子は両耳をふさぎ、目をきつくつむってしまいます。それ以上、誰かからの人格に対する攻撃を受けないよう、自分の周りに分厚い壁を作ります。それはイジメに対する防御のためであるのですが、その為に「ここにいるよ、味方がいるよ」という声が届かないことも、あるのです。

でも、あきらめずに、親であれ友だちであれ、誰か別の人であれ、子どもに「あなたを助けるよ」と語り続けていかなくては、と思います。

いじめを受けている子たちには、そんな「手と声」が必要ですね。

 

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